はじめに
これまで本ブログでは、議事録作成・資料作成・問い合わせ対応・コード生成・マーケティングといった業務軸で、生成AIの活用事例をまとめてきました。今回取り上げるのは「翻訳」です。グローバル展開する商社や製造業にとって、翻訳は長年、外部委託や専門部署への依頼を前提とした「時間もコストもかかる業務」でした。しかし2023年頃からのLLM(大規模言語モデル)の急速な進化により、文脈やニュアンスまで踏まえた自然な翻訳が、社内のクラウドツールだけで完結できるようになっています。
この記事では、DeepLやみらい翻訳といったAI翻訳専業サービスの導入事例に加え、ChatGPTなど汎用生成AIによる翻訳活用の広がり、そしてマンガ翻訳のような専門領域での応用まで、企業名と数値を交えて紹介します。自社の翻訳業務にどう生成AIを取り入れるか検討する際の参考にしていただければと思います。
商社・グローバル企業が全社導入で翻訳時間を半減
海外拠点や取引先との情報共有が事業の生命線となる商社にとって、翻訳の高速化は経営スピードに直結します。まずは全社規模での導入によって成果を上げている2社の事例を見ていきます。
住友商事×DeepL for Enterprise|62カ国123拠点で翻訳時間を半分以下に
住友商事株式会社は2026年7月28日、全社の翻訳基盤として「DeepL for Enterprise」を導入したことをDeepLが発表しました。同社はエネルギートランスフォーメーション、輸送機・建機、デジタル・AIなど10の事業グループを通じて、世界62カ国・123拠点でグローバルに事業を展開しています。導入前は、翻訳精度のばらつきや外部委託に伴うコスト、数営業日単位のタイムラグが迅速な意思疎通を妨げる課題となっており、社内調査では従業員の8割以上が日常業務における翻訳ツールの必要性を示していたといいます。
導入の決め手となったのは、GDPRやISO27001といった国際的なセキュリティ基準への準拠、そしてMicrosoft Entra IDとのシングルサインオン連携でした。全社導入後は、住友商事は「DeepL for Enterprise」の全社導入により、多言語翻訳にかかる作業時間を半分以下に削減するとともに、世界62カ国・123拠点にまたがるグローバルな情報共有と意思決定の迅速化を実現しました。PDFやPowerPointのレイアウトを保ったまま翻訳できる機能や、社名・部署名・経営理念などの表記を統一する用語集機能により、対外文書の品質向上と誤訳リスクの低減も実現しています。住友商事は今後、グローバルに展開する約900の事業会社にも活用範囲を広げる方針を示しています。
三菱商事×Mirai Translator|2,000名が月間1,000万語を翻訳
三菱商事株式会社は2019年4月から、AI自動翻訳サービス「Mirai Translator®」を全社導入しています。同社は世界約90の国・地域に拠点を持ち、約1,700の連結事業会社と協働する総合商社であり、社員の多くがバイリンガル・トリリンガルであるものの、公的文書の翻訳では専門の翻訳会社への委託も発生していました。導入の決め手は、英訳精度、ファイル翻訳機能に加え、「翻訳処理はすべて国内サーバで完結」「データは翻訳終了後に自動削除」という堅牢なセキュリティ体制で、候補に挙がった他サービスにはない特長だったといいます。
導入から約3年が経過した時点で、三菱商事では、2019年からの全社導入以降、約2,000名のグループ社員が月間1,000万語規模の翻訳を利用し続けています。イタリア語、インドネシア語、スペイン語など第三言語への翻訳でも活用が進んでおり、特に英語以外の言語で業務効率向上効果が高いと評価されています。今後は要約機能やオンライン会議の文字起こし・議事録化への展開も検討されているといいます。
製造業の現場を支える翻訳AI活用事例
製造業では、海外拠点との連携だけでなく、国内工場で働く外国籍社員とのコミュニケーションという切実な課題に、翻訳AIが活用されています。製造業全般の生成AI活用については製造業の生成AI活用事例まとめでも取り上げていますが、ここでは翻訳に焦点を当てた事例を紹介します。
日立産機システム×DeepL|英語資料の作成工数を半減
株式会社日立産機システムは2024年12月10日、DeepLの導入事例として、英語資料の作成にかかる工数を半分まで削減し、全社的な業務効率化につなげたことを公開しました。同社は2021年頃から役員をはじめとする経営層の多国籍化が進み、海外グループ会社からの出向者も増加。経営層が参加する会議では日本語と英語の資料を事前に準備する必要があり、資料作成に2〜3日程度を費やしていたといいます。
個人や部署単位で契約が広がっていたDeepLを、IT部門が全社的に取りまとめる形でDeepL Proを導入した結果、部門ごとの申請の手間が削減されただけでなく、DeepLを利用する社員数は半年で倍増しました。担当者は「専門的な用語をうまく翻訳できる点」を評価しており、会議資料の翻訳や社内コミュニケーションの英語化という課題が大きく改善されたと述べています。
松尾製作所×FLaT|外国籍社員の安全と品質を守る、翻訳業務効率10倍
愛知県の精密機械加工メーカーである株式会社松尾製作所は、2023年12月からみらい翻訳の組織向けAI翻訳ソリューション「FLaT」の利用を開始しました。同社の阿久比工場では、200名の工場スタッフのうち半数がブラジル国籍・ベトナム国籍で、これまでは作業要領書などを無料の翻訳ツールで単語ベースに訳しており、1人1日1枚を訳すのがやっとという状態だったといいます。専門用語の翻訳精度の低さに加え、ニュアンスが伝わらないことで、外国籍社員の安全確保にも支障が出ていました。
株式会社松尾製作所では、トライアル導入の時点で約800〜1,000時間の業務量削減を確認し、作業要領書の翻訳量は1人1日1枚から10枚へと、業務効率向上効果にして10倍を体感しています。労働安全衛生法に基づく資格取得のための教育教材も、14教科・1教科あたり150ページほどの分量を6言語に展開し、1言語あたり2日というスピードで訳し終えています。結果として資格取得者が増え、外国籍社員の管理職も誕生するなど、工場全体のコミュニケーションが活発化したと担当者は振り返っています。
プロテリアル・三ツ星ベルト|グループ横断で広がる標準ツール化
みらい翻訳の公開事例によると、株式会社プロテリアルは会議資料や経営報告の英語対応ニーズの増加を機に、セキュアな「FLaT」をグループ1万人規模に展開し、業務効率の向上とともに翻訳コストの軽減を実現しています。また三ツ星ベルト株式会社は、技術的なファイルも高い精度で翻訳できる安心感から「FLaT」を全社標準ツールに選定しました。このほか愛三工業、INPEX、京三製作所、マクニカ、武蔵精密工業、ダイキン工業、パナソニックなど、業種を問わず幅広い企業が導入企業として名を連ねています。
NMTからLLMへ、生成AI翻訳エンジンの進化
翻訳を「利用する」企業側だけでなく、翻訳サービスを「提供する」企業側でも、従来のニューラル機械翻訳(NMT)にLLMを組み合わせる動きが進んでいます。
ロゼッタ「T-4OO」|LLMベースの新エンジンを追加実装
株式会社メタリアル子会社の株式会社ロゼッタは、自動翻訳サービス「T-4OO」に、先端のLLMをベースとした新たな翻訳エンジンを追加実装すると発表しました。従来のNMT技術は高精度・高速な翻訳に強みがある一方、LLMベースのエンジンは文章全体の文脈やトーンを踏まえた翻訳に適しているとされ、両エンジンを共存させることで、それぞれのメリットを活かした翻訳環境を実現するとしています。「T-4OO」は独自に構築した2,000分野の専門データベースを強みとし、医薬・法務・金融・半導体など幅広い分野の企業・団体で導入されています。
shutto翻訳|ページ全体の文脈を読み解く生成AI翻訳
株式会社イー・エージェンシーが提供するウェブサイト翻訳ツール「shutto翻訳」は2026年3月24日、ページ全体のトーン&マナーや前後の文脈を生成AIが読み解いて翻訳する「生成AI翻訳」機能の提供を開始しました。従来の自動翻訳では直訳にとどまりがちだったブランドページやキャッチコピー、製品説明ページなどで、より自然で伝わりやすい翻訳を実現するとしています。インバウンド旅行者の増加や越境ECの広がりを背景に、企業サイトの多言語化ニーズが高まっていることが開発の背景にあるといいます。
Mantra Engine|マンガ翻訳とLLM、海賊版対策への貢献
マンガに特化したAI翻訳を手がけるMantra株式会社は、クラウド翻訳サービス「Mantra Engine」にLLMを統合し、機械翻訳の精度と一貫性を高めています。同社は2024年6月、集英社・小学館・KADOKAWA・スクウェア・エニックス・ホールディングスなどから約7.8億円の資金調達を実施しました。マンガ翻訳では、キャラクターごとの口調や作品全体のトーンを一貫させる必要があり、LLMを組み込むことで訳文のブレを抑えられる点が評価されています。海外向けの正規版流通を早めることで、海賊版被害の抑止にもつながる取り組みとして注目されています。
ChatGPT・Claudeなど汎用生成AIによる翻訳活用の広がり
専業の翻訳サービスとは別に、ChatGPTやClaudeのような汎用生成AIチャットツールの一機能として翻訳を使う動きも広がっています。三井住友フィナンシャルグループは2023年4月、日本総合研究所・NECと共同で、Azure OpenAI Serviceを活用した専用環境のAIアシスタント「SMBC-GPT」の実証実験開始を発表しました。文書作成・要約・翻訳・ソースコード生成などをチャット形式で行えるツールで、情報漏洩を防ぐ専用環境を構築した点が特徴です。
より新しい動きとしては、三菱UFJ銀行は2026年1月以降、全行員約3万5,000人がChatGPT Enterpriseを日常業務で利用できる体制を段階的に構築しています。2025年11月12日にOpenAIとの戦略的コラボレーションとして発表されたもので、社内文書作成や調査対応、顧客対応、分析業務など幅広い業務での活用が想定されており、翻訳専業ツールと汎用生成AIを併用しながら、それぞれの得意領域を使い分ける流れが今後さらに広がっていくと見られます。実際、マーケティング業務の生成AI活用事例まとめで紹介した企業の中にも、海外向けコンテンツの多言語展開に生成AIを活用しているケースが見られます。
導入事例から見える3つの共通ポイント
ここまで見てきた事例には、共通するポイントが3つあります。
1つ目はセキュリティです。住友商事、三菱商事、松尾製作所のいずれの事例でも、翻訳処理が国内・専用環境で完結すること、データが処理後に自動削除されることが、選定の決め手として繰り返し語られています。機密文書や契約書を扱う翻訳業務では、精度と同じかそれ以上にセキュリティが重視される傾向がうかがえます。
2つ目は用語統一の仕組みです。DeepLの用語集機能や、みらい翻訳のカスタマイズ機能のように、社名・部署名・専門用語をあらかじめ登録しておくことで、翻訳後の修正作業を大幅に減らせる点が、業務効率化の実質的な効果につながっています。
3つ目は費用対効果の見える化です。松尾製作所の「業務効率10倍」、日立産機システムの「工数半減」、住友商事の「翻訳時間を半分以下に」など、いずれも具体的な数値をもって導入効果を示しています。翻訳ツールの導入を検討する際は、まず一部部署でトライアル導入を行い、削減できた時間やコストを定量的に確認したうえで全社展開に踏み切るというステップが、成功パターンとして共通しています。
まとめ
翻訳業務における生成AIの活用は、単なる語学力の代替にとどまらず、グローバルな意思決定のスピードアップ、外国籍社員の安全確保、コンテンツの海外展開加速など、企業ごとに異なる経営課題の解決策として広がっています。DeepLやみらい翻訳のような専業サービスと、ChatGPTやClaudeのような汎用生成AIを、業務内容に応じて使い分ける動きも今後さらに進んでいくでしょう。本シリーズでは引き続き、業界軸・業務軸それぞれの切り口から、一次情報に基づいた生成AI活用事例をお届けしていきます。
参考サイト
- 住友商事、「DeepL for Enterprise」を全社導入|DeepLプレスリリース(2026年7月28日)
- [DeepL導入事例]日立産機システムの急速なグローバル化を支援するAI翻訳|PR TIMES(2024年12月10日)
- 株式会社松尾製作所 AI自動翻訳の導入事例|みらい翻訳
- 三菱商事株式会社 AI自動翻訳の導入事例|みらい翻訳
- 利用シーン・導入事例(プロテリアル・三ツ星ベルト等)|みらい翻訳
- ロゼッタの自動翻訳「T-4OO」が、LLMベースの生成AI翻訳エンジンを新たに実装|PR TIMES
- ウェブサイト翻訳ツール『shutto翻訳』生成AI翻訳機能を提供開始|PR TIMES(2026年3月24日)
- SMBCグループの専用環境におけるAIアシスタントツール「SMBC-GPT」の実証実験の開始について|日本総合研究所
- 三菱UFJ銀行、OpenAIとの戦略的コラボレーションに関するお知らせ|MUFG(2025年11月12日)
- Mantra株式会社 公式サイト
